利他感情を育てることについて
友人と利他感情について話しているときに、
この年齢から、「正に利他感情を育てること」
は難しいのではないかと考えた。
「この会社が何かしてくれたわけじゃないけれど、
この場所にいさせてくれることに感謝しているし、
辞めるときには恩返ししてからにしたい」
この言葉が本心で出てくる友人と私の差は、
正に育ちの良さであった。
死を考えるほど辛い時、親が支えてくれたと
感じた経験と突き放されたと感じた経験の差と
言うのは安直で、その事象に至るまでに自分の
親に対する向き合い方の結果が返ってきただけ
なのだろう。
どうしてわがままに生きてきたのだろう、
私の脳が共感性を感じづらい構造なのだと
検査でもして分かれば納得ができるのか。
かと言って利他と向き合うことを辞める
わけにはいかない。
上の記事は、看護を目指す学生の中に見た
利他感情の話である。
「空気を読むという表面ではなく、
もっと積極的に、その人の想いや苦しみを「感じ取る」
ことに努力してみる。
人に媚びる・媚びない、自分を出す・出さないよりも、
もっと本質的に、自分を人に役立てることを実行していく。」
「まっすぐ人のことを考えて、
人が少しでもよくなるように、
自分のできることをしていけばいいのだ」
今の自分にはただただやってみるという風
にしか捉えられず、ボランティアを検索して
は手軽なものがないなぁとページを閉じた
午前だった。