20210421の所感~これまでのあらすじとこれからのこと~
やる気がでなくて焦るのはいつぶりだろうと思いながらブログを見返すと
いつだってやる気がないように見える。
こんな文章を書く前にやるべきことはたくさんあるのだけれど書きなぐっておく。
2020年の振り返り(これまでのあらすじ)
1月:特に覚えていることがない。
2月: 調子に乗ってドラムを始めた、が三か月くらいで飽きた。
3月: ドラムをする。コロナが流行り始めて在宅になる。直前は仕事忙しかったかも。
4月、5月:できることをしようと思った。自炊頑張ったり在宅ワークをしたり。
6月:自炊につかれて辞めた。
7月:自粛明けで毎週恋人と会う。嬉しい。
8月:この辺りは6月までの出勤停止で仕事が溜まってたから忙しかったかも。
9月:家でだらだらした。地元の人間はコロナに厳しい。
10月:ちょっとずつ病んでくる(毎年この時期)
11月:特に何もない
12月:ベース教室に通い始める。もう4か月過ぎてるのか。末から生きる気力を失う
1月:趣味をする
2月:このまま記憶力が落ちていくのはまずいと思い資格勉強を始める
3月:資格試験を受ける
ここ最近、具体的には12月末からうつ病手前になっている。
遊びよりも寝ている方が楽であり、寝なければ食べなくてもいいし
人間の皮をかぶれなくなっている。
が食べて寝ることが出来ているし人の前では元気な振りが出来ているので
まだなんとかなると思っている。
なんとかなっているが、なんとかしないといけないのは仕事である。
コロナが流行ったせいで在宅ワークが主流になった。
決まった時間に行う業務がないので仕事をしていてもしなくてもいい。
朝起きなくてもいい、そのおかげで朝うつ病で起きれなくてもなんとかなっている。
とても快適に仕事ができるようになって、締め切りもほぼ無くなって、
やる気もなくなった。
頑張りたいのに頑張れないとき、そうなった原因に「無価値観」があるといった
体験談に共感した。
周りの人間が良く出来る、自分は一人で仕事を進めていくのが難しい。
評価された仕事でさえ後輩に任せて自分は考える側、手を動かさない側になった。
これをやりたいがすぐできる気がしない。無力を感じる。
自分は何をやっても駄目だ、評価もされない、
これから歳を取ると求められるハードルも高くなるだろう。周りに置いて行かれる。
でも成長していると感じられない。どんどんきつくなるだろう。
とても苦しい。
今まで知的好奇心をお金に換えて生きてきた。
この仕事は自分に向いているのだろうと思った。
「好き」が、わからない。
「好き」さえあれば周りを気にせず自分のやりたいことに取り組めるはずだ、と思う。
その「好き」が、見えなくなった。
今まで生きづらかった。「普通に」生きるができないこと、コミュニケーションがうまく取れないこと、感情が分からないこと、人と違うことが、苦しかった。
最初は盲目的に好きになった人の為だった。
それから生きづらさを解消する為に「実在する他者」を作る仕事をしようと思った。
誰にも理解されなくて苦しい人に、一晩を乗り越えるための存在を作りたかった。
でも今はどうだ。人と違うことが仕事の価値になる。理解してくれる友達、家族、
恋人がいる。それらは些細なことで、一番は他者に折り合いをつけることが
出来るようになった。薬のおかげかもしれない。
私は生きづらさを原動力にしなくてもよくなった。
苦しみとともに物を生み続ける強力な力がなくなった。
それはそれとして仕事である以上成果を出さなければならないと思う。
原動力がなくなったとして、一人でお金を稼いで生きていかなくてはならないのだ。
自分は「すべき」で動ける人間ではないことを知っている。
この仕事は好きなのか?やりたいことなのか?
やりたいことに至るための手段だとして、頑張りたいと思えるものなのか?
振り返ることをせずただ成果を求めると今の苦しい自分になるのではないか。
今の自分には考えるだけの力がない。
回復しているとか客観的にとらえようとすることが良くない気がする。
これからのことは、取り合えず駄目になるギリギリのところまで生き延びて
その間に考えようと思う。