クズ所感

蟻以下が日々思うことをPDCAサイクりたかった。月2回程度。

「好き」感情に関する一考察:道徳感情と併せて

 

目的:他人に対する感謝や愛情の感情を育ててより良い人間になりたい
   

相手に興味があり、相手のために何かをしたいというプラスの利他感情である、
と考える。利己的であり自分の都合を押し付ける感情は「好き」ではなく、
「執着」「支配」「依存」というマイナス感情であり、この状態の時に
並行で「好き」であると言い難い。

 

「好き」は利己的か利他的か、自我か超自我

 

例えば。

 自分が安定したい、安心していい場所が欲しいという、強い感情が存在する。
解決方法の一つは自立であり、自分で自分の機嫌を取って生きていくことが
考えられるが、自立できない人間が自立する人間になるために考え方・
思考の癖を変える努力が必要で、外部からよほど大きな要因を加えられない限り
生き方を変えていくことは難しい。
そこで、他人を「好き」になって、他人に「好き」になってもらい
関わり合うことで仲を深め、居場所を得たいと考えた。

 

 人間は生まれた瞬間は利己感情のみ存在し、成長過程で利他感情を覚える。
が、利他感情を覚えないまま成長することがあり、この理由の一つは
他人からの愛情や施しを当たり前のものとして受け取り感謝を覚えなかった、
事である。自分がされて嬉しかったことを他人の人にもする黄金律から、
人から愛情を与えられる利他行動が嬉しいと感じた記憶があった場合、
人に対して愛情を与えていく利他行動を取ることができると考える。

つまり、人から「好き」を受け取ったからこそ、人を「好き」になれるのではないか。

この仮説から、人を「好き」になるためには、利他感情を覚える必要がある。

 

例えば。

 安定したい感情に関して、自我(自己の欲動)が利己のみによると、
他人の感情・状態を鑑みず、自分の感情や都合において他人を利用する
ことになりかねない。この時の他人に対する感情は「執着」であり
自分を優位に立たせたい「支配」、逆の「依存」である。
利他行動をとるには、超自我によって自我を抑圧するしかない。
 対して、自我(自己の欲動)が利己・利他の両方を備えている場合、
他人を「好き」になり、「好き」という感情がプラスの意味になる。
超自我によって抑圧されず「好き」を享受することができる。

 (ここで、自我はもともと利己的でしかなく超自我で抑えると利他行動が

選択できるので、超自我を育てるべきだという考え方は保留にする。)

 

扨。

 他人を「好き」になるには、人のために行動が自分の喜びと
結びつくこと、利己と利他を兼ね備えた自我を育てることで可能になる
はずだ。日々生きている中で、他人から愛情・思いやりを受け取り
自分の中に蓄えていくためにはどうしたらいいのかまだ考えが至らず
今日はここで終わりとする。